2005年08月24日

見えてない

今日、家族で出かけた帰りにスーパーに寄ったのだけど、

男の人がひとりで、ケータイを持ってお買い物。
電話の先の人に向かって
「豆腐は、丸い(パッケージ)のしかないぞ!」

うちのが、その人の目の前に置いてあった絹ごし(フツーの四角いパッケージの)の豆腐を手に取ると

「あー!あったあった」

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目の前にあっても見えなくなっちゃうことってよくあること。

普段スーパーで買い物なんてしない人が、たまにやると、「見えなくなる」ように、
慣れ親しんだ理解の文脈が通じない環境におかれると突然「見えなくなる」。
焦点を合わせるべきところを間違えてしまう。
人の目の焦点がきっちりあった像を結ぶ範囲はすごく狭いものね。

同じ新聞を読んでいる人のハズなのに、相手の興味の枠組みに入らない記事だったりすると
「えっ?朝刊読んだんでしょ?あんなに大きな見出しだったのに、なんで気が付かないの?」
なんてことになる。

普段虫になんて興味持ってない人は、自然の中でスグ目の前にいる大きな虫の存在に気が付かない...改めて教えてもしばらくわからないなんてことも、よくあることだ。

ゲームやPCに慣れない人が、たまに使おうとすると...
慣れない土地にいったとき...
初めて訪問した家で...

こういうことは、しょっちゅうある。

みんな何も見ちゃいない。

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企画書・プレゼンのDTPR画面の表現も同じ。

組織文化的に、慣れない表現を見せられると
「あんなにデカデカと強調して書いたのに、
どーして、連中は見えないんだ!」
ってなることがある。

いや、逆に小さくメリハリもなく書いてあるような
フツーに考えたら、わかりにくくてしかたないだろうに...
って思えるような書類でも
相手が通常使っている表現スタイルに即していると
ちゃんと伝わるってことがある。

...役所とか、役所的な体質のところとかは、よくあるよね。
マトリクスにしてさえおけば、
よく状況を把握してくれるとかね。

だから、説得する相手が普段使っている表現作法はよく理解しておいた方がいい。
整理の仕方、言葉遣いとかね。

でも、例えば、
今回は、DTPRなんだぜ!
クライアントが使ってるようなチマチマした表現なんて成立しないよ!
とかってこともあるし
そもそも、こっちがやりやすい表現を使うからこそ、
いったんその表現を理解してくれれば
こっちのペースにできる
ってこともある。

そういう時はどうしたら良いのか?

そういう時は、

ページ表現のバリエーションを極力少なくして
殆ど同じ様な表現を繰り返し繰り返し使うと良い。

同レベルの表現なら...アイデアの並列とかなら...同じ様なページ表現にするけど、レベルの違うことを語るなら、違う...より説明しやすい表現にしようとするものだけど、
そうしないであえて殆ど同じ見栄えのページ表現を繰り返し使う。

例えば、最大ポイントのゴシックの見出しが結論・要点で、それがページ上部にあって、その左下にレベルわけされた箇条書きで説明が付いていて、右側に図表が入っている...なんていうパターンで、どのページも押し通すわけだ。

そうすると、最初の数ページで相手は、ページ(画面)の見方を理解するわけだ。
最初の数ページくらいは、注意力をもって聞いてくれてるものだしね。

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企画書に限らず、ほとんどあらゆることについて、相手に染みついた理解のパターンに合わせるってことは重要だ。

商品のネーミングや説明とかも、「アタマがイイ」集団ほど間違えるものだ。

まったく新しい画期的ななにかを市場に提案しようとする時に、
いかにこれまでにないものかを説明しようとする。

IT系には多いよね。

でも、そうして上手く行くことはまずない。

具体例を出せれば良いのだけど、それはいろいろと差し障りがあるから、ここでは避けるけどさ。

上手く行くのは、むしろ過去の一見似たようなものに準えて...というよりも、
「これは過去に存在した似たものの一ジャンルですよ。ちょっと便利になりました。」
くらいの説明を導入にした方が余程上手く行く。

そうそう、問題例は出しにくくても、上手い例なら出しやすい。
以前からよく書いているけど、
ケータイ電話を、(技術的な本質は電話とはまるで別物なのに)、
「これは電話です。ただ、線が付いてないだけ」
って言ったのは大正解だよね。


ビジネスのプロセス...進め方なんてのもそうで、
いっくらより効率的であるはずのやり方があっても
相手が馴染んだやり方で進めた方が
結局は早く進むなんていうことはよくあることだ。

以前によく言われた例で、
(今はとても似通ってきているから、たいした違いはないけど、以前なら)WinとMacなら、ユーザーインターフェイスの出来は圧倒的にMacのほうが良くできていたと、その手の研究している人なら誰もが認めるような差があったわけだけど、

じゃー、いったんWinにかなり馴染んでしまった人が、
突然Macを使わされて、上手く馴染めるかというと
(その逆よりは良いにしても)なかなか馴染めないし、
十二分に使いこなせるようになってからも
Winのやり方の方が良いと思い続けるってことの方が多い。

同じように、あのASCII配列のキーボードの並びだって、
理不尽だと言われながらも、より合理的に配列されたキーボードが浸透しないわけだ。

...タイプライターの黎明期に、機械の性能に配慮して、タイピングの速度を早くしすぎないようにあえてちょっと理不尽に配列されたって言われてるくらいだよね。ホントかどうかは知らないけど。

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呆れるような簡単な結論にしちゃえば
「人は習慣に縛られる」ってことだよね。

モノの見え方も、考え方も、体を動かすことも、なにもかも。

相手の習慣が(見ている世界が)、自分とそれとほんのちょっとだけ違うっていうことを理解できないで(受け入れられなくて)
失敗しちゃうわけだ。
posted by waki at 22:56 | Comment(0) | TrackBack(0) このエントリーを含むはてなブックマーク
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