2007年09月23日

アタマいいねぇ〜

うちのおばあちゃん(ってあくまでも子供から見てで、私の実母だけど)が、
うちの子のほんのちょっとしたことで
「(うちの子の名前)ってあったまいいねぇ〜」って繰り返し言うんだよね。
...子供をおだてるとか、そういうニュアンスじゃなくて、
「つくづくそう思うよ」って感じで、ほんのちょっとでも感心するところがあると言うわけ。

能力を否定するようなことをほんとに一切言わないし、空気にも出さないわけ。

まー世の中のおばあちゃんってのはそういうものかもしれないけどさ。

でも、私の小さい頃を振り返ってみても、やっぱりどんなに思い返してみても、そういうことって無かったなって思ってさ。

そりゃー叱られるなんてのはよくあったけど、もっと根本的な能力みたいのを否定されたり、そういう空気出されたことはただの一度もなかったよ。

やっぱこれが、私の根拠無き自信の根底にあるんだろうなって改めて思いました。...ってはなし。

もちろん私は周囲より出来ないことなんてのもいっぱいあったのだけど、
でもそれで根底の自信が揺らいだことなんてないし、
あきらかに周囲より能力が劣る点みたいのもイジケもせずに極めて素直に受け入れてきたって思うのだよね。
...だって、そんなことがちょっとくらいあっても揺るぎようがない突き詰めると根拠なんてない自信があるわけで。

「自分や周囲のいろんな現実を極めて素直に受け入れ曇り無い目で冷静に見ちゃう上で、それでもぜーんぜん崩れない自信を持ってること...やっぱりオレの方が上手く考えられるみたいに思えちゃうことが、プランナーに必要な最も大事な才能の一つだ」みたいなことを、いろんなところで繰り返し言ってるけど、
これはおばあちゃんあってこそだったのね。

あーそういえば祖母(私のおばあちゃん)もそうだったな。

自分嫌いな人たち
posted by waki at 02:38 | Comment(2) | TrackBack(0) このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
わきさん、こんにちは。

同じようなこと考えてました。
私の場合は母親ですが。

私の母は、子供の頃、怒ると恐かったけど、
私を(私の兄弟も)守り育てる、ということにおいて
迷いやためらいがなかった。
(少なくとも子供には感じさせなかった)
子供のことを、ただ自分の子供だ、
という理由(それは理由といっていいのか?)だけで、
どうやら全力で愛してくれていた。
私がいい子だ、とか勉強ができるとか、
そいうことは本質と一切無関係なわけです。
例えば私が人を殺しても、それは変わらなかったでしょう。

そのような仕方で、私の生存は根拠付けられているので、
どんな窮地でも私は、死にたいと思ったことがありません。
死ぬにも理由が必要ですよね。私はこの世に不要な人間だ、とか
誰からも必要とされてない、とか。
でも、私自身の生きてる根拠が、ある意味不条理な
母親の根拠のない愛情
(おまえは私の子供だから、この世に存在してもよい!)
に支えられているので、
この世のたいていの理由や理屈や条件は、
私を死に至らしめることができないのです。たぶん。

ごめんなさい長くなったわりに、わけわかりませんね。
Posted by マツ at 2007年09月23日 12:31
マツさん、こんにちは。

分かりにくかったかもしれないけど、これ実母の話です。(おばあちゃんってのは子供から見て)

>おまえは私の子供だから、この世に存在してもよい!

そうなんですよね。
最後は、リクツじゃないですよね。

生きる力の根元は、自己信頼だと思うんですよね。

それを子供につくれた親は立派な子育てをしたってことですよ。

オレは、自分の子供にそれを出来るのか?...やれなきゃいかんだろうと...思うわけです。

なんだか難しいけど。

...難しいとか思うようじゃダメなんだろうなー。
Posted by わき at 2007年09月23日 13:38
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