2005年06月24日

知識社会化=△ 知価社会化=○

最近、何カ所かで「知識社会化」って言葉を立て続けに見て、それは間違ってるってことはないにせよ、勘違いのもとになるのじゃないかなーと思った。

例えば、
工業社会化って言う時に、
工業=機械を使った産業が競争力のキモや成長のエンジンになるってことだよね。

つまり、要点は、生産のための機械=装置だし、
マスプロダクトのためのキモになる装置は、とっても高くてフツーの個人じゃおいそれと買えないから、「資本主義化」するわけだよ。
でしょ?

ならば、「知識」...お勉強で身に付くようなノウハウとか教養とか...脳のメモリー領域の能力...が
これからの機械装置や資本に相当するものになるのか?
っていうと、

とても重要な必要条件にはなる
...知識のないところは競争参加もできないのだけど、
決定的な競争力とかのキモにはならないんだよね。

なぜなら、
まず第1に、
工場のような生産装置を持つ(投資する)のと違って、
誰だって努力すれば一定の知識は得られるでしょ?

だからこそ、いわゆる知識は常に需要を上回るわけ。
工業化社会に例えれば、いつでも金余りと似た状態だ。
これでは競争力のキモにはならない。

第2に、
じゃー、なにが競争力のキモになるのか?
って言ったら、
お勉強で得られるような知的能力とかよりもっと先の
もっと「曖昧」で規定しにくい知的能力なわけだ。

例えば、デザイン力とか、新しいビジネスモデルの構築力とか...でしょ?
潜在ニーズに気付いて新しい提案する力とかさ。

確実にマスプロダクト時代って言える時代の(多品種少量生産体制ができる前)までなら、価格とクオリティで出し抜ければ確実に売れたけど、
今じゃ、価格とクオリティだけでは勝負にならないし、
下手したら価格とクオリティに劣るものの方が成功する例だっていっぱいあるわけだ。

例えば、iPodが、価格やクオリティとかで決定的に勝っていたわけじゃない。
HDを使ったMP3プレイヤーはそれ以前からあったしね。

デザインや新しいビジネスモデル...iPod+iTunes+iTMSでの新しい音楽の楽しみ方を提案できたからこそ勝ってるわけだ。

ちょっと戻って、なぜ「曖昧」って言うかといえば、
iPodはともかく、
デザインのようなものや、サービスの斬新さみたいなもの
って、時代と場所が変われば、成功条件がころころ変わるでしょ?

ある時期、ある場所、ある対象に向けて、大ヒットしたデザインが、
別の時期、場所ではかすりもしないっていう曖昧さがある。

コンテンツビジネスのようなものならなおさらだ。

iPodの成功だって、それを知識の勝利というなら、
他の出し抜かれた企業には、成功に必要な基礎知識が社内になかったのか?
と言えば、そんなハズはないわけだし。

知識=メモリー領域の知的能力がカギと言ってしまうと、
大きな間違いにつながる。

第3に、
個人において、知識が決定的な競争力を持つと言うなら、
キャッチアップ体制下の工業国の方が遙かに当てはまるわけだ。

つまり、古くは日本やドイツで、英国で成功したやり方を知識として持っていた人たち。
今なら、中国とかで、日本で何が成功していて、それをどうつくったら良いのかとかを知識として知っているとかね。

高度に体系的な知識があれば、例えば、官僚とかになって成功できたわけだ。
知識は、成功をある程度保証してくれた。

--

だから、
知識(=メモリー領域のことだよね)が大事ってやってると大きく間違えちゃう可能性がある。

知価...時価でつく知恵の価値...メモリー領域じゃなくて、判断・創造性領域の方が遙かに大事・キモってやっておかないと間違えかねないわけだ。

--

もちろん、知識が大事じゃないってわけじゃない。
知識の必要性は...特に継続的に最新知識を得ることの重要性はますます高まっていくし、
今までより、遙かに幅広い...これまでなら、一度習得してしまえば済んでしまったような領域でも必要になるのは間違いない。

なぜなら、知価社会化すれば、そういう「曖昧」なもので売れたり売れなかったりするからこそ、社会の変化は早くなるというか、先行き不透明化する。
次がどこで成功するのかを予測しづらくなる。

だから、常に最新の成功事例や新しいノウハウに精通していないと、そもそもキャッチアップさえできないってことになりかねないからね。
継続学習能力はとっても重要だ。

--

そういえば、
先日読んだ、これ(おとなの小論文教室。Lesson252 毒)と、この続きの、
クオリティよりも先に必要なものがある
みたいな内容は、いいところ突いてるなーと思ったよ。

クオリティは、努力で得られるもの
お勉強で得られる知識と本質的に同じだ。
でも、それだけじゃー勝負にならない。

もともとここで書かれているようなことはあったと思うけど、
これからは、いろんな領域で
ますます「上手であること」の?,先順位が下がることは間違いない。

...これはうちのサイトが一番最初に掲げたテーマだったっけ。
(後半のクオリティやノウハウの追求じゃ生きていけないってはなし)

--

「これからの10年飲み会」で話したこと、考えたこと(My Life Between Silicon Valley and Japan)

>「勉強能力」こそが必要十分条件だった職業ほど、「次の十年」で脅威にさらされるのである。

これも示唆に富んでいるよね。

というか、
きっと「勉強能力」の定義が変わってくるのだろうね。

Googleを筆頭に、あらゆるかたちで、外部メモリーが日々強化され、
アクセスが遙かに容易になってきている状況で、
これまでのように、脳内メモリーを鍛えるようなお勉強が
価値を持ち続けるとは到底思えないもの。

もちろん、判断や創造には、メモリーの豊かさが必要不可欠なんだけど、
だからといって、
例えば、天下分け目の関ヶ原は何年に起きたか
なーんていう知識は、
今より遙かに「クダラナイ」の領域になるのは間違いない。

もっと物事の構造、理解の文脈を頭に入れておくことの方が大事になるよね。

外部メモリーが発達するほど、
そういうことが得意か否かで、差がついてくるんだろうな。

今だって、
ものすごい知識量を持っている人が、
なーんでこんなことが理解できないの?
あなたの持っている知識のほんのちょっとの応用で理解できるでしょうが??
ってことを日々見るわけだけど、
この理解できるとできないの差がどんどん開いていくってことになるよね。
知っているかいないかじゃ差がつかないわけだから。

この差って、
例えば、今回ここで書いたのは、構造とか文脈を見る視点のことでしょ?
こういうものに興味を持てる人と、
どーしても、具体的なケーススタディ・エピソードみたいなものにしか興味を持てない人ってのがいるけど、
その差だよな。

つづく

--

関係ありそうな過去のはなし

勝ち組・負け組ってことば

殆ど、同じ様なことを書いているのだけど、
こっちは、
知価社会になると
「運」も大事ってはなし。
posted by waki at 14:17 | Comment(0) | TrackBack(0) このエントリーを含むはてなブックマーク
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