2005年05月13日

適者生存・・・優しさを取り戻そう

またくだくだとどーでもいいことを時間つぶしに書いちゃいました。

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私は、適者生存っていう考え方というか、
物事の見方が気に入っていていつもどこかで
そういう考え方をしている。

もちろん、
適者というからには、
その適者ぶりを図る前提となる環境があるわけで、
環境が不変であるということはあり得ないのだから
(環境が不変とは死の世界という意味だから)
適者の基準も普遍ではあり得ない。

仮に環境が目まぐるしく変化していくということを前提にするなら、
真の適者とは、
可能性の幅をどれだけ保持できるかということになるわけで、
適者とはたんに強い者ということではなくなってしまう。

だから、弱肉強食と適者生存は似ているようでかなり違うことを言っていることになる。

一時的な栄衰は別して、ながいスパンで物事を見れば、
一見無価値・余計・無意味に思える能力に見えるものを
切り捨てずに
どれだけ役立つものに変えつつ温存できるかが
適者の条件になるはずだ。

それを冗長性の保持と言っても、結果的にはたいして違いはない。

ひとまずの成功を目指すには、
切り捨てて集中することが大事だ。

起業時,若い時、著しい逆境に追い込まれた時...

これは、個人でも、家計でも、企業でも、社会でも、国家でも、商品でも、ブランドでも、研究開発でも...同じだ。

弱肉強食を語る時の視野だ。

逆にそうでない時・長期的な生存力は、
可能性の幅についての包容力にかかっていたりするわけだ。

起業段階を越えた時、中高年以降、危機を脱した時

ずっと繰り返し関連サイトとかで書いてきたことだけど、
ユーカリの葉が消えればコアラは絶滅するし、
タイピストは、みんながPCで当たり前にタイピングするようになれば絶滅するし、
ITシステムが一つに収斂しすぎれば、深刻なバグひとつで社会は大混乱になるし(Y2Kの教訓)、
国家の機能が一カ所に集中しすぎていれば、一見効率的に見えても
大地震にでも見舞われれば、一瞬で国家機能の麻痺を起こすわけだ。...
なんにしても過剰適応は、
環境変化次第で...環境変化がなくても、適応システムにわずかな綻びが出ただけで
突然の危機に見舞われるわけだ。

なにが言いたいのか?っていうと、
やたらと回りくどい言い方になったけど、(←いつものこと?)

可能性の幅の保持=包容力って
もっと簡単な言葉で言えば
「優しさ」なんだと思うんだよね。

人も動物も、本来とても子供に優しいよね。
特に親は。
子供なんて、その時点だけ考えれば、無能でリソースを浪費するものでしかない。
でも、それは可能性の種だから、優しさをもって大事に育てるわけだ。

社会性の動物は、親に限らず群れ全体が子供を大事にするでしょ?
チンパンジーともなれば、群れの危機でもなければ、
子供に限らず弱者をむやみに切り捨てないよね。

生物は遺伝子の保持本能を持っているからっていう言葉遊びに逃げ込むにしたって、
結論は同じだよね。

こういうのは優しさって言ってよいハズだ。

で、(飛躍してるけど)
90年代の危機をひとまず脱しつつあるように見える日本だけど、
この十数年ひたすら失ってきたように見える優しさを
今は取り戻しつつあるんだろうか?

ここで、
依然として出生率が低下していることだったり、
最近書いているような生活者の...特に若い子たちの社会の階層化を強く意識した保守化傾向だったり、
鳥インフルエンザ事件の時に浅田農産会長に先頭切って吠えてた記者と尼崎の罵声記者会見のあの記者が同じ人だったっていうニュースでも材料にして、
気分ばっかりでいい加減でそれらしい
権力は腐る=適応の結果、生存圏の王様にただなっちゃうとどういうことが起きるかとか
嘆いてみせちゃったりなんていうところで終わりたいとか
一瞬思いつつも

やっぱりもっと卑近と言うか、こっちの世界のはなしにしたいので、
マーケがらみのはなしに無理矢理もってくると、

やっぱりここでも、
一部の人にアピールできて一時的な成功をものにできれば良いのであれば、
多くの場合切り捨て型が有効なのだけど、
より大きな成功やより長期的な生存力を考えるのであれば、
やっぱり「優しさ」がカギになるはずだ。

...というか、マーケティングという概念自体に、「優しさ」が包含されてるって言えなくもないんだけどね。
だって、マーケティングってのは、客(市場)ありきの発想...ニーズにチューニングしていく...のことだからね。
少なくとも手前勝手な押し売りの論理じゃマーケにならない。

例えば、テレビの売り方を考えても、これからは「優しさ」がカギになるハズだ。

IT関連全般そうだし、
金融商品も相変わらずどれもこれも手前勝手でわかりにくい、
クルマだって、エンスー向けの商品ならともかくなんだけど、どんな種類のクルマのカタログだって、相変わらず難しい言葉が並んでいる。
住宅だって、野菜売場だって、学校選びだって...もうなんでも難しくなってきている。

90年代半ば以降顕著に起きてることをザックリ纏めれば、
「選択肢爆発」+「情報公開と自己責任化のセット」
でしょ?

これは、おバカには...情報収集力と情報評価力のない者にとっては、
とてもツライ状況なんだよね。

もちろん、だからこそ、
「権威」「クチコミ」「方法論」「保証」がキーワードになり、
ブランド(保証マーク)がより価値をもち、
広義の教育業、広義の保険業、代行業が栄えるわけだけど、

評価力という基準が、より一層強く社会の篩として機能し始めている...
そういう点で、日々、社会が優しさを失いつつある
ってのは確かなんだと思う。

つまり、すっごく簡潔に言えば、
益々「バカが生きづらい」時代になりつつあるわけだ。

これは、ものすっごく不安な気持ちにさせる。

だって、うちの子かなりバカなんだもん。
バカだって元気に生きていって欲しい。
いいところだっていっぱいあるんだから...
バカだと言って切り捨てずに、
その可能性を活かしてくれる社会であって欲しい。

...もうはなしが収拾不能な感じで、蛇行し始めてるな。

まーいいや、ここはブログだ。

もとい、
そういう時代だからこそ、
「優しさ」を掲げることが大きなアドバンテージになるんだよ。
...マーケのはなしね。

--

そうそう、
改めて終身雇用をけっして崩そうとしないトヨタの強みが言われ始めているよね。
ちょっと前は一部の人たちから攻撃の対象だったことだけど。

--

えーと...
もし社会の進化軸ってのがあるのだとしたら、
可能性についての包容力をより高めていく方向にいくはずなんじゃないだろうか?

宗教・考え方への寛容さ、肌の色の違いについての寛容さ、
性や、年齢や、知的能力や、肉体的な能力や、見た目や、資産や...といったことについての差についての
寛容さ・包容力と、
その差を活かした能力を引き出す社会の力
をより高めた社会こそ
より生存力のある社会じゃないかって。

もちろん、こういう社会の能力を高めるのは大変なこと・長い時間をかけて、ちょっと過剰とちょっと過小を繰り返しながら、ゆっくり進める必要がある。

だって、急速にそういうのを推し進めようとすれば、
それこそ、それについてこれない人たちを切り捨てることになりかねないからね。
つまり、結果的にかえって包容力をなくすことになる。

急進派、革命主義者、理想主義者...が、いつでも容易に陥る矛盾だ。

--

えーと...もういいや。

...やっぱ、愛がなくっちゃね。

--

--
060216 追記

さっき読み直してみたのだけど、めちゃくちゃな文章だね。
でもまー、言いたいことは伝わるのじゃないかと思えるから、まーいいか。

で、読み直してみて、ふと思いついたのは、

この2000年ばかり一神教世界がずっと強くなってきているわけだけど、
これは、突き詰めれば...どんな教義を掲げていたとしても...
弱肉強食の論理なのだと思うんだよね。

だって、(キリスト教は三位一体みたいな逃げ道をつくっているけど)
結局は、善悪で世界をぶったぎる二元論だ。

その考え方についてこれないものをぶった切る
切り捨ての発想だ。

これは「世界が無限に見える時」には、競争戦略として結果的に正解だったかも知れないけど、
地球のリソースに限度があるぞってのが常に意識されつつあるような時代になっていくとどうなのだろう?

もちろん、キリスト教世界とかは、以前に比べれば遙かに包容力を身につけようとしているわけだし(←三位一体って発想の決め手だね)、状況適応しようとしている。

だけで、根っこはなにも変わっちゃいない。

そこで思うのは、これからは、
もともと人がそれほどの行動力・世界の広さを手に入れていなかった時代の宗教発想の方が正解なのではないかということ。

人は様々な行動力を手に入れて、「成長市場:無限に広がる世界」でながいこと生きてきたわけだけど、
これからは、「均衡市場:有限世界」で生きていかなきゃならないわけだから、
一神教登場以前の宗教...多神並列・人も自然も並列...みたいな宗教観の方が、
よりうまくいくのじゃないか?

...であるべきであろうに、
実際は、むしろ逆の方向に行っているのだよね。

つまり、
世界が狭くなった。
=単一市場化しつつある。=グローバリズム。
=勝ち負けの基準が統一の方向に向かっている。
=弱肉強食発想の方が有利。
ってね。

でもね、こうして物事が収斂するほど、世界が単純な構造になるほど、
環境変化に弱くなっていくと思うのだよなー。

--

まったく関係ない、どうにもくだらないはなしですが、
ディアマンテってクルマが出てきて話題になった時は
イヨマンテってわざと呼んでました。

--

私の勝手な解釈だけど、
繰り返しますね。

弱肉強食
=まずは目の前の限定された環境での戦いに勝たなきゃって時の視点。
=限定された環境だから、勝ち負けの基準は明らか。
=若い時、起業時、成長期の社会 ...とにかく切り捨てて集中して足場をつくるしかない時。

適者生存
=変化する環境の中で生存可能性を高めていく時の視点。
=環境は常に変化する。勝ち負けのキモも基準も常に変化する。
=大人、大企業、成熟社会 ...長期スパンで取り組む余裕が出来てから。

--

これ↓もちょっと関係ありそななさそな

勝ち組・負け組ってことば
posted by waki at 22:20 | Comment(4) | TrackBack(1) このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
いつも楽しく拝読しております。
今回はとてもツボだったので思い切ってコメントします。

友人が職探しをしており、フリーランスでいちおう食べていけてる私は親切ごかしでいろんな方に紹介しました。でも友人のひとの好き嫌いの激しさに面食らっており・・・。コラムを読んで自分は、友人の他者への包容力の無さに呆れたんだと理解しました。なんだかまとまりがなくなったので、はずかしいので今回はこのへんで。今後ともおじゃまさせていただきます!


Posted by メグ at 2005年05月14日 14:10
メグさん、こんにちは。

>友人の他者への包容力の無さに呆れたんだと

よく状況がわからないので
ピントはずれなレスしちゃうかもしれないですけど
(その時はごめんなさい)

その方が、もし若いんだとしたら、
優しさとか寛容さとか包容力なんてなくても仕方ないんじゃないんでしょうか?

...例えば、20代ころの私にそんなものがあったのか?
って思うと、あまり非難もできないなーと。

自分の足場をつくるのに必死なうちは、
いろいろなものを切り捨ててでもってこともありますよね。

もっとも、もし、社会と積極的に関わりたくないとか
現実を受け入れたくないとかっていう
足踏みしていたいだけのための
人の好き嫌いだとしたら
どっかでやめなきゃ後でつらいのはその人自身ですよね。

ところで、

他者に寛容で優しいってのと、
自分に甘いってのは、
見た目が入り組んでて難しいですよね。

「優しい人」なんて言われてる人が、
たんに意気地なしで摩擦を恐れていて
本来、自己中心的だからこそ
そう見えてるなんてのは良くあることだし。

...えーと、そんな難しい人生相談的なことを書くつもりはまるっきりなかったんですよ、

むしろ、
例えば、
歩道がないところを小さな子供が歩いてるのにそのすぐ横をすごいスピードですり抜けていくクルマとか...それもママが子供を乗せてたりとかね...つまり子供がじゃれてふらつくなんてのは良くあることだってわかっているはずの大人がそういうことするみたいな...
そういう、
なんでそこまで余裕がないわけ??いい大人が。
って、光景が日常の中にあまりに目につくし、
なんだか増えてるような気がして仕方がなくて
ずっと気になってるってのが
この記事書こうとした根っこなんですよね。

ほら、尼崎の事故だって、これからいろいろ原因究明されるんだろうし、
それは機能体組織がやったことなんだから、それこそ、けっして精神論なんかで片づけて欲しくはないのだけど、
でも、死んじゃった運転手にしろ、乗り合わせていた運転手にしろ、運転手を管理していた人たちにしろ、あまりに余裕がないなーって思う時に、
子供の横を猛スピードですり抜けるクルマに乗っているごくフツーの...きっと知り合いだったとしても仲よくできるようなフツーの人たちの余裕の無さとダブって見えちゃうんですよね。

他者に対して余裕が持てないことがフツーになっちゃってるみたいな。

もちろん、クルマの例なんてのは、昔からそういうのはあったし、
増えてるようだって言ったって、クルマの量も、ドライバーの幅(老人や女性が増えている)も増え・広がり続けてるんだから、前より目立つようになるのも当たり前だろ?
って言われれば、もちろんそれまでなんですけどね。

でも、97-8年くらいを境に相当日本人の心が変質してきている・蝕まれてきてる・余裕を失ってるって思うんですよ。
調査レポート見ても、自分でいろいろ日常をふり返ってみても。

97-8年とかってのは、あとからふり返れば、平成恐慌って言ってもよいような大混乱期だと思うし、だから冷静さを失うのも当たり前だと思うけど、
そろそろ冷静さを取り戻してもいいんじゃないのかな?
って。

なんだか、長いだけでわけわかんない文章ですね。
ごめんなさい。
Posted by わき at 2005年05月14日 18:28
ちは。
あんまり長いので本当はいっぱい書きたいことがあるんだけど、一番ボクが感じた部分は、

>益々「バカが生きづらい」時代になりつつあるわけだ。
って部分。


うちの実家のお母ちゃんなんか(まだ五体満足でそれなりの年齢で元気な70才なんだけど)、
「わたし、ホントにバカなのかなぁー、世の中があんまりにも複雑でぜんぜんわかんないんだよねー」
ってのが口グセになってもう長い。

もちろん、視力だって徐々に落ちてるから、
昔は読書や新聞を見てるのが趣味だったのに、
今じゃすっかり「見るのも面倒くさくて…」
ってカンジで。

ますます「社会から取り残されてる感」→
「生きる気力も落ちて」→
「しかし、新しいことを覚えようと思っても、世の中は益々複雑化していって、それに自分が適応できない」
・・・・という堂々巡りをしている様を横目で見てるのは辛いわけです。


もちろん、ボクだって常に時代の最先端を見ていたいけれど、すべてを網羅するコトなんてむりだし、かなり狭めた限界性をもって適応してなんとか食えて、楽しい人生を送ってるだけのわけで、不安だってまったくないわけじゃないですもんね。

ただ、わきさんとボクの得意技である
「根拠のない自信」だけで日々生きてるだけですから(笑)

あぁ、まとまりつかなくなっちゃけど、
せっかく書いたから、えぃっ!
Posted by いしやまじょう at 2005年05月15日 04:05
ちは。>じょーさん

うちの両親は、例えば、パソコンやケータイや資産運用や... ...なんかに、もうまるっきりなんて興味持ってない...バッサリ切り捨ててるから、その点とっても幸せですよ。
TV見ながら、「わかんない言葉が増えたなー...10年くらいまでそんなことなかったのになー」とかは言ってますけど。

でもね、シニアはともかく、
うちの奥さんも殆ど似たようなもんですからね。
そりゃ、メールは使うし、Webもたまには見るけど、基本的にそういうこと自体への興味は0%。
100%道具として、ほんのチョビっと使ってるだけ。

あの人、子供が生まれる前まで現役の同業者だったのにさ。

...もともとそうか。あの人は、ゲーム上の記号的空間とかがどうも理解できないみたいだし。

こりゃはなしの筋となんも関係ないはなしだね。

>「根拠のない自信」だけで日々生きてるだけですから(笑)

それは大事な才能だってば!

「根拠のない自信」無しに生きていくなんてもう無理だよ。
だって、
未来への保証・約束事は、もういろんな方面で崩れてるからね。

>あぁ、まとまりつかなくなっちゃけど、
>せっかく書いたから、えぃっ!

まー仕事じゃないんだから。
思いつき・言いっぱなしの精神で。
その方がなんか新しい視点とかアイデアとか出てくるし。

...オレ、もしここを仕事の宣伝用とかにつくってたとしたら、
きっと殆ど更新できないと思うもの。

10回くらいは読み直すよな、もしそうなら。

でも、そんなんじゃないから、読み直しさえもしない気軽さ。
Posted by わき at 2005年05月15日 04:33
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