2005年04月04日

匿名性はなぜ守る必要があるのか?

なりゆきで久々にココ(モノ書きの老婆心:「匿名性」を護るために[週間!木村剛]を読んで、
ひろゆき氏の存在価値を俯瞰からキチンと把握してて、分かりやすく表現してるところとか、改めて木村剛って時代を見る視点がちゃんとしていて、しかも強い人だなーって思ったんだけど(まー私なんぞから評価されても、だからなんなんだよだろうけど)、

これをきっかけに最近なにかといろんなところで話題になってるブログと匿名性のことをちょっと考えてみたいと思う。

この前の、ライブドアvsフジをテーマにやってた朝生とかでも、世代によって随分この問題についての捉え方が違うなーって思ったし。

....考えるったって、精々この問題を考える上での視点をちょっと提供するくらいしかできそうもないけど。



いろいろ匿名性の確保について書かれたものの中で
私としては最も説得力があったのは、
自由主義市場経済・民主主義の成立過程と絡めて丁寧に説明していた...ごめんなさい。誰が書いたなんて本かは忘れた...

とにかくそこから、
匿名性の確保の概念の成り立ちについての理解をかなり乱暴に要点だけ抜き出して書けば、

--

●やはり現代型の匿名性:プライバシーの概念の起源は産業革命時のイギリスだ。

●産業革命時に次々に生み出されるまったく新しい発明品について、
誰も真にどれが良いモノなのかなんて評価できなかった。
...今からふり返れば、なければならないものが、クズ扱いされていたり、その逆も多かった。
...今だって、まったく新しい技術の可能性について正確に評価できる人なんて殆どいないでしょ?

●だから、自ずと、市場が受け入れたもの...結果的に発展したものが良いものだとなる。

●つまり、何が良いかは消費者が決めることだ。

●しかし、個々の消費者は常に弱者だ。
例えば、「アレはダメだ」とか言ったところで、実名で語ればスグに潰されるでしょう?
さらには、何を選択したか(購入したか)については、重要なプライバシーの一部なわけだ。
そうじゃなきゃ、「こっちを選べ」っていう圧力だってかけられる。

●だから、匿名性の確保が重要なわけだ。

●考え方としては、政治・行政であったり、マスメディアであったりも同じ事だ。
行政サービスの消費者やマスメディア情報の消費者は、その選択や評価情報発信について匿名性が守られなきゃならないわけ。

●また同時に、だから...消費者の判断を誤らせる供給者のウソや情報の隠蔽はいかんわけだ。
供給者は常に需用者の選択に関わる情報について透明性が求められるわけだ。
匿名的な情報操作は許されないし、
例えば、株式市場では、取引判断に必要な情報をキチンと公開しなきゃならないわけ。

●もちろん、自由主義市場経済と民主主義は表裏一体だし、
民主主義の根底...すべてを超越する大前提として、神のもとの平等・基本的人権の概念があるわけで、
つまり、供給者と需要者の関係を超えて、人権侵害が関わる場合は、人権が常に優先されなければならないわけだけど。
...だから、情報の正誤などよりも真っ先に誹謗中傷などが問題になる。

●ちなみに、産業革命に一歩遅れて参加したドイツなどの欧州大陸の国やもちろん日本とかも...というか、殆ど英米以外の殆どの国は、このリクツどうりにはならない。
なぜなら、当時はイギリス以外は「キャッチアップ」が重要だったわけで、「既に正解は当時の最先進国:イギリスにあった」わけだ。
ってことは、消費者より、官僚とかの方が「正解」を知っているわけ。
だから、啓蒙主義的な市場経済運営の修正版のやり方が出てくるわけだ。

●つまり、産業構造や社会構造とかに「革新」が起きる時は、
「真の自由主義・市場経済」的なやり方が効果的だし、
おおよそ「正解の方向性」が出切っちゃった後は、
あまりに純粋な自由主義・市場経済は、無駄が多すぎるわけだ。

●そして、もちろん今は、
産業革命以来の規格大量生産時代の次の時代への革新・社会構造変化のまっただ中だ。

--

もとい、
で、
問題は、ネット上での意見発信だ。

中でも特にブログは、その数や成長の勢い、制作の容易さからくる参加層の広がり...中でも専門層の情報発信の広がり、2chに代表される掲示板型の「おしゃべり」じゃなくて情報提供・意見表明であることが多い...などを考えると、まさにこれからこの問題の焦点になるものだ。

ブログ作者は、情報の供給者でもあるし、需要者でもある。

さらには、ブログは社会的影響力が強い人たちも大勢書いている。
売れない雑誌や地方局の番組なんかよりよっぽど多くのリーチをもってるところだっていっぱいあるでしょ?

単純に供給者と需要者を切り分けることができない。

つまりこれは殆どまったく新しい問題だ。

ブログ作者の匿名性は、どこまで守られるべきで、
またどこまで透明性をもたなきゃならないのか??
どこまで情報発信に責任を持たなきゃならないのか?

ものすごく難しい問題だし、
きっと名誉毀損やら守秘気味違反やら著作権違反やらなんやらで訴えられたりして
やられちゃうブログ作者とかが次々現れて死屍累々になっていくなかで、新しいルールが確立していくんだろう。

例えば、Appleがニュースブログを訴えた件とかさ。

...この後、どうあるべきだって散々書いたのだけど、
やっぱりろくにこたえにならない...整理がつかないので、
全部消しちゃった。

改めて...

結局、言えることは、
今、明快なこたえ:ルールなんてない=だからこそ極めて危うい状態
ってのだけは確かだね。

あと、規制によって問題解決しようとするのは、
ブログを殺すことにしかならないし、
社会構造・産業構造が激変しているさなかであるという時代状況を考えれば、
それは需要者の情報発信を抑えるという点で、
社会の競争力を失うことにさえ繋がっていく可能性さえ考えられるということ。

であれば...自由にやるしかなく(自由であるべきであり)、
誹謗中傷とかの人権侵害はだけはいかんという以上の
最低限のまともなルールもないアナーキーな状態ならば、
ブログ作者には、それなりの覚悟がいる。

しかし、ブログづくりの敷居は極めて低い。
考える間もなくつくれちゃう・書き込めちゃう。

...やっぱだめだ、いろいろ切り捨てても整理つかないや。

なんだか、中味がねーなー。

ここまで読んだ人ごめん。
...と思いつつ、これだけ書いたから、保存ボタンを押しちゃう。

これがブログの緩さだよな。

--

先日の朝生でいちばん面白かったのは、
...といっても寝る前に30分くらいみただけだけど...

電波の公共性・限りある資源・だから免許制ってのへの鋭いツッコミ。

BSデジタル・CSのコンテンツには、地上波とのコンテンツ重複がすごく多いし、また「なにが公共性よ」と突っ込まれて何も言えないだろう下劣な内容も多いじゃん。
って内容。
posted by waki at 17:49 | Comment(0) | TrackBack(0) このエントリーを含むはてなブックマーク
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