2006年09月13日

クオリティの追求って

別に今に始まったことじゃないし、もう10年くらいいろんな分野で言われてることだけど...

「みんな以前よりクオリティを求めるけど、以前より感覚が鈍くなっている」
「最近はクオリティさえ、求めていない」

味覚、聴覚、視覚、臭覚...いろんな感覚が鈍くなっていている。
小さな差が分からなくなってきている。
分からなくなってきているというより、どうでも良くなってきている。


なんでこんな今さら過ぎることを書いてるのか?というと
最近仕事で関わる商品とかの在り方にかなりこの手の疑問持たざるを得ないものが増えてる気がするから。
線的なクオリティの進化が意味があるのか?
みんなが求めてるのか?
ってことについてね。
...具体的に何について言いたいのかは、ここでは一切分からないように書くけど。

みんながもっと「音質」にこだわるのなら
●スーパーオーディオCDとかもっと売れたって良かったハズだ。
●ケータイの音声のクオリティには耐えられないハズだ。
 でも、固定電話がそこにあったって、ケータイを使いたい人の方が多い。
●MP3プレイヤーなんて売れるわけがない。
 音が悪いCDより、もっとずっと音が悪い圧縮音源聞くなんて。

みんながもっと「画質」にこだわるのなら
●YourTubeやGyaOとか見る時間がどんどん増えてるのはヘンだ。
●なんで、画像表現が劣るケータイ型のゲーム機は売れてるんだ??

別にデジタル系のはなしに限らず、
食とか広範なサービスとかに
こういう現象は見られる。

こういう現象は、今さら言うまでもないけど、
全部、新たなフリー:自由という価値の提供がカギだ。

・ロケーションフリー
・タイムシフト(時間の束縛からの自由)
・記憶作業からの自由さ(電話番号を覚える必要がない,コンテンツを探さなくても全部持ち運んだり、簡単に検索できたりする)

「新たなフリー」という新たな使用価値ってのは
結局は、その殆どは、「個化」... 家電が個電になったり、食事が個食になったりってことだ。

オレの好きにやらせてくれよ

ってことね。

もっとオレの好きにやらせてくれるなら
クオリティになんてこだわらない
ってことだ。

もう10年くらい繰り返し言われてきたことを再確認しただけだけど

じゃー、その商品、そのサービスはどうなのかね?

本質的に新しい自由、新しい世界を提供するの??

そうでないのなら、なんでそこまでがんばるわけ?
...いや、頑張らざるを得ない状況に追い込まれてるのは知ってるけどさ。

クオリティが大事じゃないなんて言うつもりはないし、
たんなる量的な差であったりクオリティの差でも、それが充分に大きくなれば、本質的な体験性自体が変わるってのも分かるよ。

クオリティは低いより高い方がいいに決まってる。ほかに犠牲にするものがなければね。

他に選択肢がないなら...まったく別次元の使い勝手とかを提供するライバルがないものなら、
これだけ豊かな社会なんだから、
価格とか余程の無理を強いなきゃ、よりクオリティの高いものが勝っていくだろう。
でも、本質的な使い勝手の部分で差が付いてるとしたらどうなのだ??

テープが光学ディスクになったりしたのは、
本質的な使い勝手に大きな飛躍があった。

で、次世代のディスクには、そういうのがあるのかな?

放送のデジタル化の真の目的が
電波の空きをつくることなのなら、他にも方法がある。
インタラクティブなコンテンツにしたいならそれも方法がある。
地域放送の権益を守りたいなら、他にも何も突き詰めればどこにも解決策はないのじゃないかな? 有効な手は時間稼ぎだけだよな。

--

人はいつだって、より高いクオリティを無条件に求めているわけじゃない
なんていうはなしは、誰だって言われるまでもないか。

でも、言われるまでもないところに、とかく行き着いてしまうってことは、途中で当たり前のことを見過ごしているのだよね。
posted by waki at 23:41 | Comment(0) | TrackBack(0) このエントリーを含むはてなブックマーク
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