2004年06月03日

街の景観問題

トラバ:「動く広告」地下鉄に登場 パラパラ漫画の原理利用([多事城論]的ブログ)

↑これ読んで。

これって結局街の景観問題...なんもかんもぐちゃぐちゃじゃん!ってことを言ってるわけだよね?

うん。
オレも広告に限らずいろんな街の景観要素に問題があると思う。

例えば、六本木周辺とか、もう悲惨だよね。
ヒルズとかそういう一体開発地帯に入ればともかく、六本木通りも外苑東も酷いもんだ。

六本木に限らず、綺麗な場所って方が少ない。

私は街の景観問題とかの専門家じゃないし、あんまりこの問題について見識ない方だと思うけど、なんとなくなりゆきで思いつくままにいろいろ書いてみます。

これって主に、

1.つまらない

2.ぐちゃぐちゃ(無計画)

って問題なんじゃないかなー?

まず、
1.つまらない
ってのは、
原点はきっと明治以来ひたすら日本全国単一市場化に努力してきたってこととすごく関係があって、中央官庁の絶大な影響力で、
どこに行っても同じ様な街灯・信号・ガードレール・歩道の敷石・橋脚の色やデザイン・電柱... ...だからね。
道が同じに見えれば、ちいさな街の個性なんて吹き飛んで行くからね。
...最近は、ちょっとバリエーションあるけどさ。

あと、路地に入っても、壁がどこ行っても同じようなブロック塀があったりね。

日本全国単一市場化の功罪の罪の面だよね。
...というか、発展期はまさにそれも功の一部だったんだと思うけど。

2.ぐちゃぐちゃ
ってのは、日本は先進国の中でもっとも都市計画について強権使わなかったって見方もできるってのを過去読んだことがあるけど、きっとそういうことなんだろうね。

あと、
以前に何種類か読んだ明治時代に外国人が日本に滞在した時のレポートとか
写真とかの本を見たときの印象だと、
とにかく美しいし、ヨーロッパじゃ考えられないくらい日本の街は美しいし清潔だし...って繰り返しでてくるわけだけど、

実際、街ごとにかなりデザインも統一されていたりするし、実に気持ちの良さそうなデザインになっている。

これってきっと、長い期間の安定した都市コミュニティがつくったものなんだろうね。

日本の戦後の都市の成長は、他の当時先進国って言われた国々のそれをぶっちぎる速度で進んだわけだから、コミュニティがつくる安定したデザインにならなかったんだろうね。

地方から大量に都市にやってきた人が、都市コミュニティの同化していくんじゃなくて、新たな街をいっきにつくるから、旅の恥は掻き捨て感覚というか、隣は何をする人ゾ感覚で、塀の外を自分の家の延長と捉えなかったってのも大きいんだろうね。

ちなみに、明治時代の日本の街にも広告は溢れてた。
のぼりとかズラッと並んでるし、店の看板も時代劇に出てくるのとは違って遙かに大胆でかなりハデだ。

でも、けっして五月蠅くないし、むしろそれはそれで美しい。

広告種のバリエーションが少なくて統一感があるのと、
色遣いや形は大胆でも、日本の紋章みたいに幾何学デザインが多くて、スッキリしてるしってのが理由だと思う。

でもってどうしたらいいのか?だけど、

1.つまらない
は、できるだけ最小単位の自治体に、景観管理についての強大な権限を渡すべきなんだろうね。
...あくまで素人考えなんだけどさ。
景観条例みたいなものじゃなくて、国交省管理や警察管理とかインフラ企業管理になってる部分とかも景観に関してはもっとずっと踏み込めるようにしていかなきゃダメなんだろうな。

日本人は都市景観のセンスがないみたいに思ってる人も多いけど、
明治のそれを考えれば、むしろ逆で、いかに地域が自主性を取り戻すか...権限も意識も...って問題なんだと思う。

2.ぐちゃぐちゃ
これはまずは、都市の個性みたいなことを考えれば、自然に統一感が出てくるよね。
だから1.と同じこと。
あと、ぐちゃぐちゃであること自体は
ほんとに悪いことか?
ってのもあるな。

都市計画ってのに常に懐疑的になっちゃうんだよ。

例えば、未だに居住地区・文教地区・行政地区・商業地区・各種の生産地区...とか分ける考え方があるけど、あんなのは19世紀の異物だもんね。
日本はぐちゃぐちゃで良かったってほんとに思うもの。
っていうか、もっとぐちゃぐちゃ...混在であるべきだと思うし。

もっとも、音と臭いを発する工業関係だけは、もっとちゃんと区切って欲しかったけど。
...でもそもそもがあの分け方自体が工業化社会のための考え方だから当然なんだけど。

で、ぐちゃぐちゃは、すぐに「面白さ」に繋がるものね。
すっきりは、すぐに「つまらなさ」につながる。

だから、渋滞を巻き起こす交通基幹網の問題とかを除けば、
ぐちゃぐちゃはある程度放置していいんじゃないだろうか??

街が美しさを失っていくと言えば
都市に限らず、地方や郊外のシャッター街の広がりは酷いよね。
「無惨」な感じ。
これは、デザイン管理じゃどうにもならない問題だね。

思いつくままに、もうちょっと。

これまでは街の価値は、かなりの部分をスペックで評価できたと思うんだよね。
会社までの利便性とか、学校や買い物の利便性とか...

高級住宅街や高級商業地はともかく街のデザインの重要性は低かった。

これは、思うに人口動態とも関係あると思う。

今までは...80年代までは...働く世代が土地や家を買っていたわけで、
彼らにしてみれば、まずアクセスとかのスペックが最優先だものね。
おとーさんは、寝に帰るわけだしさ。

でも、これからの不動産市場は、団塊ジュニアの購入ピークが過ぎて、
新規需要中心からリプレース需要中心になっていく。
それから、人の数でも持ってる金でも両面からやっぱりエルダー市場化していく。

働く必要がない人たちが極めて重要な買い手になるし、
既になってきている。

だったら、前よりはずっとスペックの問題...特に会社までのアクセスのようなものの重要性は相対的に落ちて、街のデザインの重要性が増すんじゃないだろうか?

うちのオヤジは、家を新築するときに、家にあったけっこう大きな木をばっさり切ってしまった。
庭の一部を潰してそこに家を建てて、道路に面したところを月極駐車場にしちゃったのね。

オレは大反対だったんだけど、
「オマエはこの先ずっと駐車場分を補填できるか?」と言われて、そこで断念。
かわりに、「木を植えよう」という提案にも、
「屋根が落ち葉で傷んで、この先、数十年でこれだけ余計な出費が増える」と言われて断念。

こういう合理主義はどうにもならない。

でも、もし、そういう景観に関わる部分で、資産価値がまるっきりかわるとしたらどうだろう?
きっと多くの人の考え方が変わっていくはずだ。

...あー、でもこれって、贈与税問題が解決しないとダメか。

だってもっともっとリプレース市場がはるかに活発化しないとダメだものね。

でも、本当は核家族化は一時的には減速してるにせよ、それは経済問題であって
意識としては止まりそうもないから、
リプレース市場づくりは重要なハズなんだよね。

だって、本来なら、社会に出たてはワンルーム、結婚したら2LDK、子供が出来たら3-4LDKって子供が巣立ったら、またサイズダウンって理想的なサイズは常に変化していくわけでしょ?
小さすぎても大きすぎても使い勝手が悪い。

でも今のしくみだと、若いうちに最初にでっかいミニバン買って、それを一生使うのに等しいナンセンスなことになってるものね。

大家族だと、そういうムダは出ないんだけどさ。

ゲッ!
思いつくままに書いてたら、もう既に1時間経過。

ヤバ。

仕事に戻ります。

でも、このテーマはいろいろ調べると面白そうだね。
posted by waki at 02:15 | Comment(0) | TrackBack(0) このエントリーを含むはてなブックマーク
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