2006年01月20日

「近代の原型」としての宋代

中国への関心ってあきらかにまた一段と高まってきているよね。
...その関心の中味...好き嫌いとかはおいておいてさ。

で、中国人が「四千年の歴史」はともかくとして
「中国こそ、過去何度も世界を突き放した圧倒的な先進国だった」
って言う時の過去ってのは...
「オレたちが世界の文明の中心」っていう中華意識の具体的な拠り所になっている時代ってのは、かなりの部分が宋代だって聞いたことが何度かある。

宋代って言えば、
歴史、中でも中国のそれはちんぷんかんぷんな私だって、さすがに、
例えば、
戦争にやたらと弱かったこととか、
宋磁とか、
見ようによっては「オレ様主義&負け犬の遠吠え」でしかない朱子学とか(でもって、結局、明治維新の思想的な原動力にもなるし、その後の軍部の暴走を支える理論にもなるってね)...
なーんてイメージくらいは湧いてくる。

そんな時代が、「自慢の時代なの?」だったんだけど...

いやもちろん大帝国を築いた明代の分かりやすい数々の自慢のネタってのもあるわけだけど...鄭和の大艦隊とかね...、でもやっぱりイチバンの自慢の時代は宋代らしい。
(もちろんアンケート取ったことがあるわけじゃなくて、何度かそう聞いたことがあるってだけで、それは間違いだよってのがあったら教えてね)

もとい、そんな弱っちい宋代が自慢なの?だったのだけど

以前にどこかで、堺屋太一だと記憶しているのだけど、
(今手元に確認する材料がないのだけど、まず間違いないはず)

「宋代は、ヨーロッパの近代に遙かに先駆けて起きた一種の近代..."亜近代"だ」
みたいなことを言っているのを読んで、
そうなんだ!そうなの??
って強く印象に残って、
それなら自慢のもとになるってのも分かるよなーって思ったわけ。

その後堺屋さんの視点をベースに大昔に私なりに整理したメモは、
だいたいこんな感じ↓。

●エネルギー革命
 石炭の発見・コークスの発明利用は唐代後期に起きてるわけだけど、それが本格化したのは宋代だね。

●工業革命
 エネルギー革命を背景に、効率的な鉄器生産とか、磁器の大量生産とかができるようになる。
 大規模で徹底した分業規格大量生産の体制は、人類史上初といっていいでしょ。
 ちなみに磁器生産地では空が煤煙で覆われるような公害も起きていたらしいね。

●科学技術
 方位磁石,火薬,印刷...
 この後に、鉄砲の発明があれば、ピストンをつくれたわけで、そうなれば動力革命まで行ったはず。

●農業革命
 適地適時適作。
 鉄器の大量生産による効率アップ,二毛作の発明,流通網の発達がこれを可能にした。

●流通網・貨幣経済・市場の飛躍的な発達
 水運とかね。これは上記の3項目の発達と不可分だ。
 行:商人ギルドの発達による約束手形流通。

●近代型組織のルーツ
 例えばほぼ完全に軍隊を税金で雇ったり、軍政と軍令の分離のような統治と執行の分離が行われたり、官僚組織も高度化するし、法人といって良いようなものも出てくるし。

●知識層が社会の主流に。
 貴族階層の没落と、士大夫層=科挙官僚、地主、文人... の出現。
 つまり、欧州などでは、ずっと後にならないと出てこないジェントルマン階層に近いものが出来ている。

●主知主義
 道教>朱子学
 なるほど確かに堺屋さんの言うとおり、朱子学(理学)はみようによっては理性主義・主知主義だよね。(って堺屋さんが言っていたと思う...私が勝手にそういったと思いこんでいたのなら申し訳ない)

●成熟文化・成熟消費
 グルメとかコンテンツとかね。
 今に続く中華鍋と高温の炎を使った中華料理は、もちろん鉄器の大量生産とコークス利用の普及がなければ出来得なかったわけだし、文学・哲学は盛り上がるし...
 水墨画、山水画

なるほどね。
確かにこれは亜近代だわ。

たんにテクノロジーや芸術が進化した時代っていうだけでなくて、
社会システム面で、相当本質的な進化があるわけだよね。

もし、宋が、工業革命を、鉄砲の発明にまで進めてたら...
って思っちゃうよな。

鉄砲までいけば、シリンダーつくれるわけで、動力革命も時間の問題だったろうし。

それが...真の近代が、欧州で起きたことが良かったのか、どうなのか?

まーなんにしても、欧州経由で来てくれなかったら、今の日本はないわけだけど。

--

ちなみに千年前:10世紀と言えば

日本は、平安時代
欧州は、神聖ローマ帝国
中東は、ブライフ朝
インドは、ラーシュトラクータ朝
アメリカは、マヤの衰退期など

中国の先進性は圧倒的だった。

--

それから、つい最近ある仕事の件で調べるまで、まるで知らなかったのだけど、

「漢民族」って、例えば「アメリカ人」みたいなものだったのだね。

つまり、中華思想っていうイデオロギーと社会構造・文化を共有して、中原中心に住む人たちが、「漢民族」って呼ばれたのであって、
いわゆる民族としては、かなりの多様性を持っていた。
つまり「漢民族は多民族」だったのだね。

だから、中国で、少数民族になっているのは、
歴史的に同化が浅いか、文化共有を拒否した人たちだったわけだ。

例えば、漢民族の帝国として分類されている唐の皇帝とかも、
北方民族系だったらしいね。

--

こういう整理を大人になってからしてみる度にいっつも思うのは
学校でさ、歴史を、固有名詞とか年とかそんなのは遙かにいい加減でいいから、
もっと歴史の構造として教えてくれたら、
オレももうちょっとは...いやかなり夢中になってたハズなのになー。
当時は歴史なんてまったく興味持てなかったよ
...って思うのだよね。

で、まーまた言い訳なのだけど、
そういうわけで、私は、歴史の基礎学力がとても低いから
「そりゃ違うぞ!」ってのがあったら、どんどん指摘して下さい。

--

来年は、日本における中華年。
今年も終わりに近づく頃になれば、相当、中国文化関連の話題が盛り上がってくるはずだ。
posted by waki at 00:53 | Comment(0) | TrackBack(1) このエントリーを含むはてなブックマーク
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック


Excerpt: 1999年 ISBN 463467260X 『アジア歴史事典』9(ム〜ワ)貝塚茂樹、鈴木駿、宮崎市定他編、平凡社、1962年・辛島昇編『世界歴史大系 南アジア史3 南インド』・「近代の原型」としての宋..
Weblog: インドが気になったぞ
Tracked: 2007-07-20 10:52
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。