2005年12月16日

得意なスタイルを自覚する

A君は、某大学院にいる。
...もうずっと日本のエリート供給の中心的な役割を担ってきたところだ。

彼は、郵便配達の人になりたいんだそうだ。
それで試験を受けるのだけど、筆記はなんの問題もないが、面接になると落とされてしまう。
最後に、「あなたのような高学歴の人をとるわけにはいかない」と言われるのだそうだ。...それが本当の理由なのか方便なのかはよくわからないけど。

A君は、小さい頃からほっておいてもお勉強がとてもよくできたし、お勉強が大好きだったらしい。
でも、彼には苦手なこともあった。
先生が話していることの意味がよくわからない。
友達が言っていることの意味がよくわからない。
友達の気持ちもよくわからない。
だから成長するにつれて友達とのいさかいやイジメられることも増えていったらしい。

テキストに書かれたことなら、なんでも素早く理解できるのに、
(例えそれが情緒も問題でも理解できる)
会話や表情といったもので成り立つ対面コミュニケーションだとよく理解できないのだ。

私は、A君に直接会ったこともないし、詳しいことはよくわからない。

だから、ここからは私の勝手な想像なのだけど、
きっと、郵便配達であれば、多くの仕事で要求されるような対面コミュニケーション力を一切要求されないと考えたのだろう。
それにきっと赤いバイクに乗って街を走り回るのが好きなのかもしれない。
出世したいなんていう欲はまったくないのだろう。
本当にまったくわからなくて想像でしかないのだけど。

それから彼がなりたいものになるには返って不利なのに
大学院まで行ってしまったのは、
社会に出るにはどうしたらよいか分からなくて、怖くて、ひとまず目の前の好きな勉強を続けていたら、結果的になりたいものになれない状態になってしまったということなのだろう。

--

A君の例は極端だとしても、
ドラッカーもことのことをよく言っていたように、
人には、
聞いたり話したりするとよく理解できる人

読んだり書いたりするとよく理解できる人
というのがいる。

聞いたり話したりするとよく理解できる人は
相手もそうだと思いこみやすいし
文章だと理解できる人はやっぱり相手もそうだと思いこみやすい。

会話と文章だけでなく
一見おバカのように見えても
すごく時間をかけて深い理解を達成するのが得意な者もいれば
逆に瞬間的に短期視点で実用的な理解を達成することに長けた者もいる。

とにかく得意なスタイルは人それぞれなのだ。
本当に。

だから...ちょっとだけはなしは本筋からそれるけど
プランナースクールで限られた時間の中でいろいろやっているのだけど
本当の力を出せなくて不本意だった人もいるのじゃないかと思っている。
例えば、家に持ち帰って一人になって、じっくり考えれば、周囲より遙かによい作業ができたっていう人もいるはずだ。
私が生徒たちくらいの年齢・経験値で、あの場にいて、どれだけ出来たかとよく思うのだよ。
意見交換の場まではともかく、アウトプット化する段階では、きっとろくなことはできなかった。
でも、もちかえって一人で籠もれば、きっと周囲より成果をだせたハズだ。

私は、案件を選べ、時間管理が比較的容易で...かけようと思えばかなり時間を割くことが出来て、一人で籠もって纏まった時間をつくりやすいフリーランスという道を選んだ。
それだけが理由じゃないけど、
そうでなければ、大して力を発揮できないと思ったからというのもかなりあるのだ。

--

だから、

自分は、上司は、同僚は、部下は、取引先は...

会話優位型か文章優位型か?
短期集中型か長期熟考型か?
協調型か独行型か?
...

といったことを
改めて落ち着いて確認してみて
それに意識していくと
いろいろ良いのじゃないかなー
と思うわけ。

--

しかし良い時代だよ。
文章型にはね。

以前なら、ビジネスコミュニケーションは電話と対面ばっかりだったんだからね。

今はメールもあるしさ。

それに(まったく彼のプライベートは知らないのだけど)、
きっとA君だって、ネット上ではイキイキとしているハズだ。

--

ブログ上でスグに長文を書きたがるヤツってのは
文章優位型か、両刀型なんだろうな。

--

私は、一晩中延々と駄話をし続けるとか、会議とか
実は大好きで、
そういう意味では両刀なのかもしれないけど、
ある種の会話では本当にフリーズしてしまう。

例えば、セレモニーでの挨拶でのスピーチとかってなると
本当に本当にフリーズしてしまう。

慣れの問題とか、いろいろ割り引いても、
そういう場面での、突き詰めれば毒にも薬にもならない...殆ど空気をつくるだけのためみたいなな話ってのが、
「まるで思いつかない」のだ。
本当に真空状態になっちゃうんだよね。

いや、そういう場面でのはなしを「毒にも薬にもならない」と感じてしまうのは、私だけで、
多くの人...会話優位型の人は、適切な一言で、開眼したり勇気づけられたりしているのだろう...それはわかる。
でも私は、そういうスピーチとかで開眼したり勇気づけられたりなんてしたことはないから。

だからきっと、私の言葉ってのは、考えてることをタイピングで打ち出すように、相手の話していることを、タイピングでメモるように進行しているんだよね。アタマの中に打ち出されたテキストを眺めながら、また話すみたいな。

だから、口から生まれてきたんじゃないかと言われることもある私だけど、
実は相当程度に文章優位型なんだろうなと思うんだ。

...あー、そろそろ出かける準備しなきゃ。

--

051217追記

要するにA君は一種の発達障害なんだよね。

でもね、発達障害ってのは、
何に対して発達が問題あるって言われるのかって言えば
平均的な人の能力バランスに対して、ある部分の発達が劣っているとかっていうだけなわけだよ。

彼の場合は、知能は高いが、対面コミュニケーション能力に関する部分だけが異様に欠落しているわけ。

でもって、平均的とされる枠の中に収まる多くの人たちだって、
実は相当に能力のばらつきがある。
簡単にできることと、がんばったってちょっとしかできやしないことってのがあるのだ。

つまり、程度の差こそあれ、みーんな発達障害なんだよ。
なにを基準にするかだけだ。

もし社会の環境が大きく変化すれば、A君は極めて優秀ななんでもできる人ってことになったかもしれない。

「私は、発達障害だ」っていったん認識してみよう。
上司も部下も友人も妻も子供も...みーんな発達障害なんだって
思ってみよう。

その方が、自分をうまくいかす方法や、
よりうまく相手に伝える方法や、よりうまく相手を導く方法が
見えてくるはずだ。

--

基本的には人は皆同じなんだと思うところから
寛容さを失っていくんだよ。
posted by waki at 16:07 | Comment(0) | TrackBack(0) このエントリーを含むはてなブックマーク
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