さっき、「美人はらを抜かない」って記事を見て、
しばらく前に、ミーティングの成り行きで
「ら抜きは、有りか無しか」ってので盛り上がったっけとか
思い出したので。
最初に言っておくけど、
私は、「ら抜き」は言葉の「正しい」進化だって主張したい方です。
そりゃね、私だって、仲間言葉みたいなものは別にして、
その枠を越えた場面で使う言葉は、ある程度の保守性は必要だと思いますよ。
でも、口語でのらぬきは昨日今日に始まったものじゃないよね。
しかも、年齢層にしろ地域にしろ様々な社会階層にしろ、既に相当の広がりを持っている。
もう充分な時間は経ってるでしょう。
いやしかも、以前の議論の時にある人が、
「TVや新聞とかがあんまり言うし、ATOKにはいちいち注意されちゃうから、最近の若者の言葉の乱れみたいな気になってたけど、よく考えてみたら小さい頃から近所の大人もら抜きだった」みたいなことを言うわけ。
さらには、その人は関西出身なんだけど、「関西を舞台にしたドラマとかで、関西弁なのに、らがわざわざ入ってると、ものすごっく違和感感じる」とも言ってたな。
でね、
もしやと思って調べてみたら、
関西だけじゃなくて、もともと古来日本の文化的な中心部だった近畿とかを中心としたけっこう広い地域で、
ずっと前からもともとら抜きだったわけ。
今は、関西弁とかは「方言」扱いだけど、そんなの時代の流れ次第じゃん。
今も首都が関西圏にあって標準語が開催弁ベースで出来ていたら、「そこでなぜ、らを入れる」って笑われてたね。
なんにしたって、昨日今日出てきたわけじゃないのだよ。
それから、言葉には、とても大きな時代構造変化を受けたものと、一時的な変化を受けたものとあると思うし、一時的な社会変化を背景にした表現を積極的に支持しようとは思わないけど、
ら抜きは、とても大きな変化を背景にしていると思うのだよね。
少なくとも、「の方」とか「になります」みたいなバイト敬語って言われているのとは次元が違うと思うのだよ。
...いい気になって、言葉の乱れを非難したい人は一緒くたにするけどさ。
だってさ、「ら抜き」は、少なくとも、
例えば、食べられる(受動)と食べれる(可能)を明快に切り分けるわけだよね。
こういうベクトルを明快にするのは(せざるを得ないのは)時代の要請でしょ?
適切な機能分化だよ。
コミュニティ語ならともかく、ビジネス語に相応しい機能をもったのがどっちなのかって考えたら、あるいは多様な価値観をもった多様な人が交差する場面で...つまり大都市部でどっちが適切な機能を持っているかって言うまでもないでしょう?
もっとも、議論してた相手の人は、「そういうあえてベクトルを曖昧にするような美しい文化の崩壊が...」とか言っていたけど、
ならば、バイト敬語の「〜の方」は、使われ方は新しくても、まさにそのものズバリを言わないでおこうとする極めて日本的な精神の現れなのだから、尊重しなきゃね。
私としては、ご近所や遠い親戚とかとのコミュニケーションならともかく、コンビニやファーストフードでそんな精神にあいたくないけどさ。
もっとさばさばやって欲しい。コンビニエンスでファーストがウリなんだからさ。
そうそう、ら抜きを言うくらいなら、それこそなんとかしろよって言いたいのが、「ら入れ言葉」ね。
あんまり、いい気になって、ら抜きけしからん!なんて言う人が多いから、怖くなっちゃって、「ら入れ」しちゃうんだろうね。
この手の話しはもともと繰り返しあったのだけど、
特にこの10年くらいですよね。今に続く新たな盛り上がりは。
やたらと「正しい日本語」って言う人が一層増えたのは。
そういうことを言う本とか番組とか。
もっと前は、さらに10年前...80年代末期から90年代最初期...バブル期にもあったっけ。
こういう議論は、社会的階層を意識する人が増えると、盛り上がるんですよ。
正統派...エスタブリッシュメントにより近い位置にいることを確認したくなるとね。
バブル期のそれは、階層をあがれそうっていう盛り上がる自信と期待が、
今のは、突き落とされそうっていう不安が、動かしてるっていう
大きな違いはあるにしてもね。
なんにしても、オレは違うって確認したいわけ。
小学生のいじめっ子集団ってのは、最上層と最下層に挟まれたポジションでストレス抱えたヤツが、自分よりポジション下のヤツに、いーけないんだいけないんだぁーってやるわけですよね。
みんな中流で、この先もそう
って思ってる時代だとこういうのはあまり勢いはつかないのだよね。
でもさ、もうしばらく階層化が進んで、固定化...もうどうにもならないって気分が蔓延すると、下層の連帯感に強く訴えるために、出来るだけ「美しくない...権威層が使う日本語から意識的に遠い表現」を使おうってムーブメントも出てくるよね。
あっ!とっくに出てるか。.既に相当の広さで蔓延してるか ..だよね。
でもさ、この先もっともっとそういうのが力を持ってくると思うよ。
オレは、「正しさ」に縋り付くのも、「反正しさ」で連帯するのも、どっちもヤだな。
そういうのからは、自由でいたいよ。
まーそんなはなしはともかく
本当に敏感な人なら、
「ら抜き」と「〜の方」を同次元には扱わないはずだと思うのだよな。
2008年08月27日
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そういう意味では、今後、権威層が使う日本語を使うっていうムーブメントが起こる可能性もあるかも知れないですね。
私は「ら抜き」よりも「一生懸命」が気になります。これも大きく広まってしまい、既に好みのレベルになってしまった感がありますが、「一所懸命」と書いている人の文書の方が一枚上のような気がします。
その入口が、例えば、ら抜きへの過剰反応ですね。
>「一所懸命」と書いている人の文書の方が一枚上のような気がします。
一所懸命は、確か、おおもとは、土地に命懸けるってことですよね。
武士が発生し始めた時代に...武士=言ってみれば武装農民ですから、土地を守りきるぞと。
今なら、会社とかに骨埋めるみたいなことですかね。
「このことでとっても頑張る...チョーがんばっちゃう!」みたいなことなら、一生懸命の方が、今では意味が通じやすいかもしれないですね。
そういう私も、
一生懸命とは、普段決して書かないし、言わないですけど。
やっぱり、正直言えばかなり気になるんです。
こういうの。
それと、
「木目濃やか」が「きめ細やか」にしか変換できないIMEには、アタマきちゃいますね。
>やっぱり、正直言えばかなり気になるんです。
そうなんですよねぇ。
確かに「一生懸命」の方が今の感覚に合ってるんでしょうけど、なんか微妙な感情を伴うんですよね。
なんも考えないで「一生懸命」という表記を使っている人よりも、この部分に座りの悪さを感じている人の方が共感できるってのはあります。
「木目濃やか」もそうですよね。下手すれば違うヨと添削されてしまうかも知れないです。